懺悔法

作法をきっちり正確にすれば、祈祷もきっちりできると思っていたら大間違いです。
祈祷の原理というものは、例えるなら丸い球体のようなものです。
全く無駄の無い形です。
その祈祷の原理である球体に、各宗教宗派が長い歳月に作法や形という衣を幾重にも着重ねて来たのです。
作法というものは祈祷の原理そのものではないのです。
あくまで、祈祷の原理に着させた衣に過ぎないのです。
そして、祈祷の原理という最もシンプルな球体の部分は、宗教宗派が違っていても変わらない普遍的真理なのです。私が教えさせて頂くのは、その部分です。
ですから、神道だけでなく、真言宗の方にも、日蓮宗の方にも、天台宗の方にも、修験の方にも、教えさせて頂くことができるのです



懺悔法の燃焼は、火力が必要ですので、ローソクは多いほど良いです。
私は10号のローソク5本立てを2台、計10本使います。
残留思念は三次元のエネルギーですから、やはり三次元のエネルギーによる燃焼が必要ですし、三次元のエネルギーの特徴は多いほど効果的だと言うことです。
燃焼時間はローソクに手をかざしている時間のことです。
懺悔法をする時間のことですね。
私は最初と途中に随時真言を唱えます。
怨霊の感情の波動を取りたいので自分は受け身になったほうが良いので、ずっとは唱えません。
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実は懺悔法の裏ワザに「お任せ燃焼」というものがあります。
家族やあるいは許可を得た友人やお客様の懺悔法をやらせて頂く時に、複数人の懺悔法をどの人から、どの順番でやって、それぞれ何分やるかまで、全ての判断を神仏にお任せしてやるやり方です。

やり方として
「お不動様、これより懺悔法の修行を始めさせて頂きます
○○家と、その関係者に波動を合わせるお力を(お不動様)(神様)にお任せ致しますので、宜しくお願い致します。。
自分が危ないと思っている身体の部位より、実は他の部位のほうがより危険な場合もあります。
また、自分が危ないと思っている人より、他にもっと危ない人がいる場合もあります。
つまり、人間である自分の判断には誤りがある場合があるのです。
そこで、全ての判断を神仏にお任せするのです。
神仏の判断に狂いはありませんから。
これを「お任せ燃焼」と言います。
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真言宗の修法というものは法力を前提としているのです。
法力が無かったら、護摩を焚いても焚火になってしまいます。
ただ、法力はそんな難しいことではないのです。
心正しければ、自ずから法力は身についているものなのです。
真言宗の祈祷僧の方で心正しく生き方正しければ、知らず知らずのうちに法力を持っているのです。
そういう方の護摩なら結果が出ると思います。
しかし、傲慢、強欲、邪淫な人には法力は持ち得ません。
俺は真言宗の僧侶だなどと威張っているようでは話になりません。
僧侶であるとか、在家であるとか、そんな事は関係ありません。
大切なのは生き方、心の在り方です。
僧侶でもロクでもない人もいれば、在家の方でも立派な人はいるのです。
祈祷は心に始まり心に終わるのです。

行方不明者の方の写真を霊視して、怨霊を感知できなければ、既にその方は亡くなっているのです。
大体、行方不明になるような人に怨霊が入っていないはずはないのです。
キンさんギンさんのように全く怨霊が入っていない人は稀有ですから。
そして、死者に死者はとり憑くことはできません。
ですから、写真を霊視して怨霊を感知できなければ亡くなっているのです。
以前、ご両親が行方不明になっているお客様がいらっしゃいました。
私はお二方とも既に亡くなっていると判断しました。
その後、お父様は高尾山で首を吊り、お母様は宮城県松島の海岸に打ち上げられました。

「祟りのカモフラージュについて」
怨霊は自分達が祟っていることを隠したいのです。
正体を隠して、いつまでも祟り続けたいのです。
そのためにカモフラージュします。
怨霊がカモフラージュに使う多いものは次の五つです。
①生き霊
②水子霊
③お稲荷様の祟り
④動物霊
⑤先祖の祟り
☆水子は流産の場合には水子霊になりません。
堕胎の場合も母への愛のために残るのです。
☆お稲荷様は仮にも神様です。
人を苦しめたりしません。
☆動物霊は人間の霊より恐ろしいと言う方がいらっしゃいますが誤りです、霊格の高い人間の霊のほうが祟ると怖いです。
☆先祖が子孫を苦しめたりしません。
☆体験談☆
私の妻は因縁が重く、キレました。わざわざ理由を見つけてキレるのです。
何年も前のことをわざわざ思い出してキレるのです。
そんな時は、深夜3時まで障礙抜きを続け、朝は仕事に行く。
そんな毎日を繰り返しました。

因縁浄化は自分との闘いです。精神力、体力が試されます。
ご自身でできる祈祷はご自身でやられて下さい。
ご祈祷をご依頼される場合も、ご自身を追い込んでいない余裕ある状態で「無償で御願いできますか?」
と、尋ねられても、神仏の答えはNOです。

例えば、今、ある苦しむ人に懺悔法を教えて差し上げたとします。
しかし、懺悔法を信じてくれなかった。
それはまだ助かる時期が来ていなかったという事です。
でも、それはムダなことではないのです。
いつか、その人が本当に困った時に、懺悔法の事を思い出してくれたらムダにはならないのです。